ドクターカー初号機 引退によせて
救急科の久野です。
今日は皆さんに寂しいお知らせをしなければなりません。
当院のドクターカー”初号機”として長年活躍してきましたバス型の病院救急車が、本日をもって退役し、運用から離れることになりました。
病院内でも検討に検討を重ね、議論を重ねて参りましたが、導入されて20年、車体の耐用年数の問題が大きく、やむなく退役の判断に至りました。
初号機が当院にやってきた20年前、私、救急科の久野はやっとお酒が飲める年齢になった頃、そう考えますと、本当に昔なんですね。
当時はドクターヘリのような航空搬送手段は未発達、病院前救急分野自体がまだ黎明期であった時代です。
近隣に高次医療機関のない大隅半島において、近くても鹿児島市内・遠くは福岡市までの長距離搬送に耐えうるドクターカーは、「いつでも、どこでも、誰でもが、最善の医療を受けられる社会を目指す」という理念の象徴であり、時代を先どった施策でした。
新潟中越地震、熊本地震においては災害派遣チームを現地に搬送し、現地での傷病者搬送に従事するなど、当院での災害医療の先駆けとなりました。
また最近でも、地域のスポーツ行事の救護活動や、防災訓練にも出動し、古さを感じさせない活躍を続けていました。
初めて院外活動に従事する研修医を何人も育ててくれました。
指宿菜の花マラソン救護にて
鹿屋市防災訓練にて
急な退役となったため、急遽になってしまいましたが、ささやかなお別れセレモニーを行いました。
勤務の合間を縫って飾りつけの準備を手伝ってくれたスタッフ、休日返上で参加してくれたスタッフ、当院を去ったスタッフも駆けつけてくれました。
事前に洗車作業もしていたのですが、「居なくなっちゃうんだ、なんか寂しいなぁ~」と声をかけてくれるスタッフもいました。
当院救急のシンボルとして、みんなに愛されていたんですよね。
20年間お疲れ様!!
約20年間お疲れ様でした。
特に、最後の3年間は救急科久野という指揮官の下、パワハラに近い稼働に耐えてくれ、本当に感謝しています。
いつもの駐車指定席から居なくなったのをみて寂しさを感じますが、”初号機”の作ってくれた伝統とスピリッツ、これからも受け継いでいきます。
出勤時に挨拶できなくなるね、、、