医療法人徳洲会 帯広徳洲会病院

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掲載日付:2024.12.02

11月は災害訓練月間でした

 救急科の久野です。
 12月、寒さの堪える時期になってきました。
 半袖通勤がトレードマークの私も、ついに長袖を引っ張り出してきた今日この頃です。

 さて11月は災害訓練が2件あり、当院からも参加しました。

 1件目は例年この時期に行われる桜島の噴火に対応する訓練です。
 桜島が大噴火した想定の下、住民避難支援や傷病者の搬送をシュミレーションします。
 当院は今年度が初参加となりましたが、なんと本部機能を拝命し、鹿児島大学の災害対応チームとともに、災害対応本部の設営・運営にあたりました。
 当院からは若手チームに参加してもらいましたが、初めての本部機能に反省点は多々ありつつ、いい経験ができたようです。

桜島での本部活動




 2件目は長崎県での豪雨・水害を想定した訓練。
 ここでは、ケアハウスへの支援活動を拝命し、現地の施設スタッフとともに検討させて頂きました。
 情報収集一つとってみても、医療従事者と介護従事者との視点の違いがあり、高齢者施設特有の問題への対応となりました。
 普段から地域密着の当院チームとしては比較的共有しやすい問題も、災害拠点病院の支援チームにとっては経験のないことが多く、ちょうど間に入る形でお役に立てたと思います。

長崎での施設支援



 大隅半島も台風被害はもとより、地震被害も経験し、いつ災害対応が求められるかわからない状況です。
 地域に根差す徳洲会病院として、有事も地域に貢献できるよう、積極的な訓練参加を続けていきたいと思います。

掲載日付:2024.11.09

長距離搬送実施しました

 救急科の久野です。
 このブログでも何度かご紹介していますが、遠方への患者さん搬送、特に、通常の座席扱いでは難しい状態の患者さんを目的地までお送りするのは救急科の役割です。
 今回はたまたま立ち寄られた鹿屋で罹患され、当院での治療を終えられた患者さんが関東に戻られるにあたり、お手伝いをさせて頂きました。

 前回の関西でもお世話になった日本航空さんに、今回も全面協力いただきました。
 航空機、特にヘリコプターではなく、固定翼機での搬送を行う場合、客室内が与圧されているとはいえ、気圧の変化、酸素濃度の変化も考慮した搬送計画が必要です。
 ドクターヘリや防災ヘリコプターの場合、ある程度の高度リクエストが可能ですが、民間航空会社の旅客便となるとそうもいきません。
 飛んでいる時間もですが、都会の空港に降りるとなると、地上走行時間も意外と長く、ベルト着用サイン点灯中はほぼなにも出来ません。
 病院で使うモニター機材も持ち込めないので、簡易モニターと診察のみで乗り切ります。

飛行機から救急車もストレッチャーのまま移動します



 当院を出てから関東の病院まで4時間かかりましたが、無事、送り届けることができました。

 ご協力いただきました皆さん、ありがとうございました。

掲載日付:2024.09.23

DMAT技能維持訓練に参加しました

 救急科の久野です。
 9月17日に木村救急部長、9月18日に救急科久野がDMAT技能維持訓練に参加しました。

訓練受付開始。結構な人数でした。



 DMAT隊員資格は5年更新。この5年間に2回の技能維持訓練参加が義務付けられています。
 今年度の技能維持訓練は、DMAT資格保有医師が参加しました。

名札もらうと気合が入りますね

 
 半日の机上訓練なのですが、危機管理・病院支援・広域搬送拠点運営・避難所運営の各課題についての課題をグループワークで対応します。
 久野ですが、なぜか病院支援課題のリーダーを拝命しまして。
 ベテランの先生がチームにおられ、もう助けてもらいっぱなしでしたが、何とか担当した病院の避難と支援を完遂することができました。
 様々な課題が同時に押し寄せてくる経験、こういう訓練でしかできませんね。
 ベテランの先生がものすごく柔和に対応されていて、私もまだまだだなぁ~と感じたのでした。

 群馬の救命救急センターで働いていた時の同期とも偶然再会し、学びだけじゃなく、気合も再注入された訓練でした。
 訓練参加に伴い、Mobile ERの運営を1.5日休止することとなり、地域の先生方、ご施設の皆さんにはご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした。

 勿論、使わないに越したことのない技能ですが、必要とされた時、地域の医療を守る一助となれるよう、一同頑張っていきたいと思います。

掲載日付:2024.08.18

ドクターカー初号機 引退によせて

 救急科の久野です。
 今日は皆さんに寂しいお知らせをしなければなりません。

 当院のドクターカー”初号機”として長年活躍してきましたバス型の病院救急車が、本日をもって退役し、運用から離れることになりました。
 病院内でも検討に検討を重ね、議論を重ねて参りましたが、導入されて20年、車体の耐用年数の問題が大きく、やむなく退役の判断に至りました。

 初号機が当院にやってきた20年前、私、救急科の久野はやっとお酒が飲める年齢になった頃、そう考えますと、本当に昔なんですね。
 当時はドクターヘリのような航空搬送手段は未発達、病院前救急分野自体がまだ黎明期であった時代です。
 近隣に高次医療機関のない大隅半島において、近くても鹿児島市内・遠くは福岡市までの長距離搬送に耐えうるドクターカーは、「いつでも、どこでも、誰でもが、最善の医療を受けられる社会を目指す」という理念の象徴であり、時代を先どった施策でした。

 新潟中越地震、熊本地震においては災害派遣チームを現地に搬送し、現地での傷病者搬送に従事するなど、当院での災害医療の先駆けとなりました。
 また最近でも、地域のスポーツ行事の救護活動や、防災訓練にも出動し、古さを感じさせない活躍を続けていました。
 初めて院外活動に従事する研修医を何人も育ててくれました。

指宿菜の花マラソン救護にて



鹿屋市防災訓練にて



 急な退役となったため、急遽になってしまいましたが、ささやかなお別れセレモニーを行いました。
 勤務の合間を縫って飾りつけの準備を手伝ってくれたスタッフ、休日返上で参加してくれたスタッフ、当院を去ったスタッフも駆けつけてくれました。
 事前に洗車作業もしていたのですが、「居なくなっちゃうんだ、なんか寂しいなぁ~」と声をかけてくれるスタッフもいました。
 当院救急のシンボルとして、みんなに愛されていたんですよね。

20年間お疲れ様!!



 約20年間お疲れ様でした。
 特に、最後の3年間は救急科久野という指揮官の下、パワハラに近い稼働に耐えてくれ、本当に感謝しています。
 いつもの駐車指定席から居なくなったのをみて寂しさを感じますが、”初号機”の作ってくれた伝統とスピリッツ、これからも受け継いでいきます。

出勤時に挨拶できなくなるね、、、

掲載日付:2024.07.12

救急科直通電話故障、復旧のお知らせとお詫び


 救急科の久野です。
 曇天・雨天に気温の上昇、私の苦手な季節がやってきました。
 早く秋にならないかなぁ~、と首を長くして待っている今日この頃です。

 さて、地域の医療機関の先生方からのご依頼を頂くために設置しております、救急科への直通電話ですが、7月10日(水)の日中に故障してしまいました。
 不通になっているとのご指摘を頂き、急ぎ、修理に回すことになりました。
 代替機手配しておりますが、稼働再開は7月16日(火)の連休明けからとさせていただきます。

 不通により、地域の先生方にはご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした。
 


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