医療法人徳洲会 帯広徳洲会病院

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掲載日付:2024.09.23

DMAT技能維持訓練に参加しました

 救急科の久野です。
 9月17日に木村救急部長、9月18日に救急科久野がDMAT技能維持訓練に参加しました。

訓練受付開始。結構な人数でした。



 DMAT隊員資格は5年更新。この5年間に2回の技能維持訓練参加が義務付けられています。
 今年度の技能維持訓練は、DMAT資格保有医師が参加しました。

名札もらうと気合が入りますね

 
 半日の机上訓練なのですが、危機管理・病院支援・広域搬送拠点運営・避難所運営の各課題についての課題をグループワークで対応します。
 久野ですが、なぜか病院支援課題のリーダーを拝命しまして。
 ベテランの先生がチームにおられ、もう助けてもらいっぱなしでしたが、何とか担当した病院の避難と支援を完遂することができました。
 様々な課題が同時に押し寄せてくる経験、こういう訓練でしかできませんね。
 ベテランの先生がものすごく柔和に対応されていて、私もまだまだだなぁ~と感じたのでした。

 群馬の救命救急センターで働いていた時の同期とも偶然再会し、学びだけじゃなく、気合も再注入された訓練でした。
 訓練参加に伴い、Mobile ERの運営を1.5日休止することとなり、地域の先生方、ご施設の皆さんにはご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした。

 勿論、使わないに越したことのない技能ですが、必要とされた時、地域の医療を守る一助となれるよう、一同頑張っていきたいと思います。

掲載日付:2024.08.18

ドクターカー初号機 引退によせて

 救急科の久野です。
 今日は皆さんに寂しいお知らせをしなければなりません。

 当院のドクターカー”初号機”として長年活躍してきましたバス型の病院救急車が、本日をもって退役し、運用から離れることになりました。
 病院内でも検討に検討を重ね、議論を重ねて参りましたが、導入されて20年、車体の耐用年数の問題が大きく、やむなく退役の判断に至りました。

 初号機が当院にやってきた20年前、私、救急科の久野はやっとお酒が飲める年齢になった頃、そう考えますと、本当に昔なんですね。
 当時はドクターヘリのような航空搬送手段は未発達、病院前救急分野自体がまだ黎明期であった時代です。
 近隣に高次医療機関のない大隅半島において、近くても鹿児島市内・遠くは福岡市までの長距離搬送に耐えうるドクターカーは、「いつでも、どこでも、誰でもが、最善の医療を受けられる社会を目指す」という理念の象徴であり、時代を先どった施策でした。

 新潟中越地震、熊本地震においては災害派遣チームを現地に搬送し、現地での傷病者搬送に従事するなど、当院での災害医療の先駆けとなりました。
 また最近でも、地域のスポーツ行事の救護活動や、防災訓練にも出動し、古さを感じさせない活躍を続けていました。
 初めて院外活動に従事する研修医を何人も育ててくれました。

指宿菜の花マラソン救護にて



鹿屋市防災訓練にて



 急な退役となったため、急遽になってしまいましたが、ささやかなお別れセレモニーを行いました。
 勤務の合間を縫って飾りつけの準備を手伝ってくれたスタッフ、休日返上で参加してくれたスタッフ、当院を去ったスタッフも駆けつけてくれました。
 事前に洗車作業もしていたのですが、「居なくなっちゃうんだ、なんか寂しいなぁ~」と声をかけてくれるスタッフもいました。
 当院救急のシンボルとして、みんなに愛されていたんですよね。

20年間お疲れ様!!



 約20年間お疲れ様でした。
 特に、最後の3年間は救急科久野という指揮官の下、パワハラに近い稼働に耐えてくれ、本当に感謝しています。
 いつもの駐車指定席から居なくなったのをみて寂しさを感じますが、”初号機”の作ってくれた伝統とスピリッツ、これからも受け継いでいきます。

出勤時に挨拶できなくなるね、、、

掲載日付:2024.07.12

救急科直通電話故障、復旧のお知らせとお詫び


 救急科の久野です。
 曇天・雨天に気温の上昇、私の苦手な季節がやってきました。
 早く秋にならないかなぁ~、と首を長くして待っている今日この頃です。

 さて、地域の医療機関の先生方からのご依頼を頂くために設置しております、救急科への直通電話ですが、7月10日(水)の日中に故障してしまいました。
 不通になっているとのご指摘を頂き、急ぎ、修理に回すことになりました。
 代替機手配しておりますが、稼働再開は7月16日(火)の連休明けからとさせていただきます。

 不通により、地域の先生方にはご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした。
 

掲載日付:2024.06.09

新たな直通電話を開設しました。

 救急科の久野です。
 いよいよ九州南部が梅雨入りですね。
 私のような重装備ボディー、かつ日本海側出身者にはとてもとても辛い時期がやってきました。
 救急外来に久野冷却扇風機が出現いたします(笑)。

 さて、すでに運用を始めていますが、救急部に新たな直通電話を導入しました。
 これまで、救急科医師である私への直通電話を運用し、地域の先生方やご施設からの受診依頼に対応して参りました。

 ただ、何分医師直通ということもあり、電話の敷居が高いとのご意見もいただいておりました。

 そこで、鹿屋地域のご施設から救急部看護師へ直接受診相談が可能な電話を新たに開設させていただきました。
 担当します有村副主任は、当地域の生まれ、当院での看護師歴も長く、地域の地理に明るく、ご施設事情にも通じております。
 すでに、1日数件程度のご依頼を頂き、また、運用についてのお問合せもいただいております。
 軽症から重症まで、受診形態も含めてご相談に乗っております。
 より地域のお役に立つべく開始した事業ですので、どうぞお気軽にご相談ください。

 救急科医師への直通電話もこれまで通り運用しております。
 併せてご活用いただければと思います。

 尚、いずれの回線も地域の医療機関ないしはご施設からのご依頼のみ対応させていただいております。
 個人の患者様からの受診相談につきましては、当日の外来診察状況・担当医の状況により対応しておりますので、これまで通り、病院代表電話へのご連絡をお願いいたします。

救急科久野の無茶ぶりも笑顔でかわす凄腕ナースです

掲載日付:2024.05.31

みんなでやると。。。。

 救急科の久野です。

 先日、当院から大阪の病院まで、患者さんの転院搬送を実施しました。
 主治医の先生が容体の安定化させてくださったことで、故郷に帰りたいという患者さんのご希望に添って計画が始まったのですが、実はかなり難渋していました。
 酸素投与の量が多く、新幹線では乗車中に使う酸素量確保が困難な上、あまりに大量となると、車内への持ち込み自体が難しくなります。
 加えて、新幹線では管轄するJRの会社が変わる経路の場合、手続きが通りにくく、時間がかかります。

 となると飛行機となるわけですが、勿論、酸素問題が解決するわけではなく、日本航空の担当部署と協議を重ねました。
 結果、病院救急車で空港まで向かい、空港でもぎりぎりまで救急車内で待機。救急車から飛行機までは病院の携帯酸素、機内では航空会社からレンタルした酸素、着陸後は先方の病院救急車を飛行機まで横づけして収容する。携帯酸素の使用をぎりぎりまで抑えた方法をとることになりました。
 ただ、この方法だと、いずれの空港でも救急車を空港の制限エリア内に乗り入れることになります。消防救急車ではなく、いち私立法人の病院救急車ですので、許可が下りるか心配でしたが、患者さんの状態を鑑み、両空港とも許可を頂きました。

 当日は、驚くほど鮮やかな対応を頂き、”携帯酸素の容量限界”という我々の懸念点を航空会社も空港管理会社も理解して動いていただいていることがよくわかりました。
 病院を超え、会社も超えての多職種連携でしたが、患者さんにかかる負担を最小限に、目的地まで送り届けることができました。

制限エリアへの入構待ちです



搭乗橋直前まで救急車内待機させていただきました


 
 「諦めとったけど、帰ってこれたんやなぁ。。。」と、着陸態勢に入った飛行機の窓を眺めながら仰っていた患者さんの表情は忘れられません。

 日本航空、鹿児島空港ビルディング、関西エアポートをはじめ、今回の患者搬送実現にご尽力いただきました皆様に、この場をお借りして御礼申し上げます。
 当院救急部にとって、一つの病院だけでは出来ないことでも皆さんのお知恵をお借りすれば実現できる、貴重な経験となりました。
 


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