みんなでやると。。。。
救急科の久野です。
先日、当院から大阪の病院まで、患者さんの転院搬送を実施しました。
主治医の先生が容体の安定化させてくださったことで、故郷に帰りたいという患者さんのご希望に添って計画が始まったのですが、実はかなり難渋していました。
酸素投与の量が多く、新幹線では乗車中に使う酸素量確保が困難な上、あまりに大量となると、車内への持ち込み自体が難しくなります。
加えて、新幹線では管轄するJRの会社が変わる経路の場合、手続きが通りにくく、時間がかかります。
となると飛行機となるわけですが、勿論、酸素問題が解決するわけではなく、日本航空の担当部署と協議を重ねました。
結果、病院救急車で空港まで向かい、空港でもぎりぎりまで救急車内で待機。救急車から飛行機までは病院の携帯酸素、機内では航空会社からレンタルした酸素、着陸後は先方の病院救急車を飛行機まで横づけして収容する。携帯酸素の使用をぎりぎりまで抑えた方法をとることになりました。
ただ、この方法だと、いずれの空港でも救急車を空港の制限エリア内に乗り入れることになります。消防救急車ではなく、いち私立法人の病院救急車ですので、許可が下りるか心配でしたが、患者さんの状態を鑑み、両空港とも許可を頂きました。
当日は、驚くほど鮮やかな対応を頂き、”携帯酸素の容量限界”という我々の懸念点を航空会社も空港管理会社も理解して動いていただいていることがよくわかりました。
病院を超え、会社も超えての多職種連携でしたが、患者さんにかかる負担を最小限に、目的地まで送り届けることができました。
制限エリアへの入構待ちです
搭乗橋直前まで救急車内待機させていただきました
「諦めとったけど、帰ってこれたんやなぁ。。。」と、着陸態勢に入った飛行機の窓を眺めながら仰っていた患者さんの表情は忘れられません。
日本航空、鹿児島空港ビルディング、関西エアポートをはじめ、今回の患者搬送実現にご尽力いただきました皆様に、この場をお借りして御礼申し上げます。
当院救急部にとって、一つの病院だけでは出来ないことでも皆さんのお知恵をお借りすれば実現できる、貴重な経験となりました。