1月の研修医

2010年1月22日
1月の研修医
教育管理部 臼井之枝

1月に入り研修医の先生方2名 、残りの研修選択科目の研修に入りました。DSC01446
まずは、有留先生。
12月まで外病院での研修を終え、1月から大隅鹿屋病院へ戻り整形外科研修中です。
現在患者さんが多く、病院自体が毎日満床状態です。
整形外科も手術が多く、今週は毎日のように手術があるそうです。
毎週2回の午前中の外来、午後から手術、毎週2回の整形外科専門外来夕診、OPE日は毎週2日、午前午後と手術・・・・
同時に救急を担当する日も勿論あります。
最高に忙しい毎日を送り、『自分の病院に戻って来たんだなと実感します』と言っていました。

次に、江口先生。DSC01432
選択科目は1月~3月まで3ヶ月間、麻酔科の研修です。
1月から、手術室での研修です。
後期研修も麻酔科を希望しているため、少し早く専門医研修 に入ったような感じです。
麻酔科部長と医長が手厚く指導してくれて、毎日がとても充実しているようです。
腰椎穿刺のシミュレーターを手術室控え室に持ち込み、時間が空いたときに指導医の先生から指導を受けながら練習しているそうです。
日々の『振り返りレポート』でもどんな研修をしているのか良くわかります。

1月に入り、とても忙しい二人・・・
きっと研修についてのブログを書いてくれると思いますので、楽しみに待っててください。
今は、必須になっている『症例レポート』を一生懸命に書いていると思います。
25日(月)は、研修医面談ですので楽しみです。
いくつレポートが提出されるのか!!
指導医の先生方、有留先生や江口先生に『レポート書いた?』と聞いてみてくださいね(笑)


勉強会の数々

2010年1月20日
勉強会の数々
教育管理部 臼井之枝

年末~現在まで勉強会の数々が行われています。
その都度、ブログでご紹介をしなければいけなかったのですが・・・ DSC01325

まず、11月27日にCPC検討会が行われました。
病理の先生が来られて、内科の中 永先生、貴島先生の症例2例行われました。
勿論、研修医参加は必須です。
ほとんどの医局の先生方が集まり行われました。
これは、私には全く理解出来ない内容でしたが、研修医の有留先生は『とても解りやすかったですね!』と上機嫌でした。

(研修医の先生がブログに書いて欲しいですね!)

12月18日に行われた勉強会(X‘mas Present)から。DSC01340
近隣の消防の方々と合同で、歯科口腔外科で副院長の 金 本先生の救急の講演です。
12月は、外病院で研修中の研修医の先生も夕方病院に来て参加しました。
画像などを取り入れながらの講演で、素人の私もとても興味を持ちながら話を聞くことができました。
各科の垣根なくこういった形で講演を受けて勉強するという事は素晴らしいと思いました。
研修医の先生方も勉強になったと言っていました。
来年4月からは、もっと取り入れて行きたいと思いました。

年末から、3回に分けて全職員対象の教育研修委員会主催の 勉強会がありまDSC01427した。
内容は、『疥癬について』で、感染委員長である田村先生の講義でした。
先日行われたのは、2回目でしたがあまりの人の多さに中に入って聞くことが出来ませんでした。
全3回行われましたが、全職員対象という事で3回とも大人数でした!!

毎週金曜日は医局全体の勉強会、講師は各科持ち回りで行われています。
毎週水曜日は医局全員でのICU回診が行われています。
医局全体、病院全体と全体で取り組む事はとても素晴らしいと思います。
こういった『大隅鹿屋病院ならではの良さ』というものを、今後も大切にしていき、4月から新しく仲間になる研修医の先生方にも活かして行きたいとおもいました。

2月も木村先生がブログでご紹介している
http://202.133.118.29/trainee_doctor/archives/2010/01/post_273.php
http://202.133.118.29/iryokankei-benkyokainosirase-tokubetukouen_100205.html
「阪神淡路大震災から15年?淡路病院救急外来からの提言」で、講師は兵庫県立姫路循環器センターの水谷和郎先生がお越しになられます。
是非、皆さんご参加してください。


「知っていても必要な時に使えなければ意味がありません」

2009年1月19日
「知っていても必要な時に使えなければ意味がありません」
救急部長 木村圭一

以前別の病院の救急外来で実際に体験したお話です。

30歳ぐらいの男性が意識障害があると言うことで救急来院されました。私も人の事言えませんが(^.^)、その方は超メタボでした。

糖尿病で通院中であること、血圧や脈拍数に大きな異常がなく、全身に冷汗がある事、耳朶血にて(普通に採血できなかったのです)血糖が「low」と出た事(そうでなくても意識障害の患者さんでは低血糖を疑うべきですが)より、低血糖による意識障害である事はすぐ分かりました。

低血糖の治療は簡単で、糖を投与すれば良いです。意識があれば飲ませますが、無理ならば注射をします。一緒にビタミンB1を入れた方が良いとか、そう言う事も機会があれば勉強しましょう。

医療用の糖が病院には用意されています。もちろん救急外来に必ず準備されていますから、困る事はほとんどありません。、、、、が、大変でした。

意識がない患者さんでしたので、注射を選択します。が、その人は大変太っていたため、静脈が分かりません。よって点滴ルートがとれません。名人と言われる看護師さん達がトライしても入りません。そう言う場合にはCVと言って太い血管に管を入れますが、それも太っていて難しい、、、、

じゃあ飲ませようかと言っても、意識がないので飲めません。鼻から胃まで管を入れて、胃に直接糖を入れてしまおうと言う事になりました。しかし、こちらも管が全然入りません。大変だ、、、、と言うことで噂が広まり、医師やその他スタッフが救急外来に集まってきました。私もその一人でした。

私はちょうどその数カ月前に救急救命センターに研修に行かせて頂いており、低血糖の対処を勉強したばかり(えっへん!)でしたので、答えはすぐ分かりました。

グルカゴン筋注です。皮下注射でも良いようですから、どこでもぶすっと刺せば良いので簡単です。太っていても関係ありません。

グルカゴンは血糖を上げるホルモンで、最も多い用途は心臓の悪い人に対する検査の前処置薬です。アナフィラキシーの治療にも使えます。血糖が低い人に使えば、治療になる事は誰でも分かります。

偉い先生が他に沢山いて、色々処置をしていました。代わる代わる経管栄養チューブを入れているのです。が、なかなか入らず、みんな気が立っていました。声も大きくなっていて、、、、

私は「グルカゴンを筋注したら良いと思いますが、、、、」とつぶやきました。当時はTwitterもないですし、つぶやきシローもいませんでした。

研修医の先生が「グルカゴンですか!?」と反応してくれたのですが、その他の先生には聞こえなかったのでしょう。誰も反応してくれず、私はもう一回グルカゴンと言った方が良いのか、あるいはグルカゴンじゃなかったかな、、、、と自信がなくなってきちゃいました。

結局何十回もトライした後に経管栄養チューブがやっと入り、そこからブドウ糖を投与して意識が回復し、めでたしめでたしとなりました。

私は医局に戻って再度低血糖の勉強をしました。やはりグルカゴンを使う事は治療として書かれています。今見つけられませんでしたが、最も重要なのはグルカゴンを投与する事であると書かれている本もありました。今度同じ事があったら強く主張しなければいけないなあ、、、、、なにしろ患者さんのためですから、、、と思っていたら、先ほどの研修医の先生がやって来て褒めてくれました。

「先生すごいですね。本で調べたらグルカゴンって書いてありました。あんなに医者がいたのに、正しい治療を知っていたのは先生だけでしたね!」

でも、あまり素直に喜べませんでした(+_+)。知っているだけでは何にもなりません。実際に使えなければ、、、、意見を言う事が出来るスキルも重要ですね。JATECと言う外傷の講習会では、以下のようなシナリオで、そういったスキルも重要と教えられます。

腹腔内出血でショック状態、意識がなく(これはショックのためなのですが)腹部手術をしてもらうために外科医(JATECを知らない)を呼ぶのですが、意識がないから脳外科だろう!と文句を言われます。それでも、これは腹腔内出血だから!と言わないと不合格になります。一緒に受講した田村先生は見事クリアしたのですが、私は判断が間違っていると思ってしまい、不合格になりました(+_+)。この時も同じ班のメンバーが、実際の現場では先生自身が「俺が執刀する!」と言えばいいんだから、、、と慰めてくれましたが(^.^)。

UpToDateの「Management of hypoglycemia during treatment of diabetes mellitus」と言う文献には、「For the treatment of hypoglycemia in a person with impaired consciousness and no established intravenous (IV) access, we suggest the immediate administration of glucagon, rather than waiting to establish IV access (Grade 2B). The usual dose is 0.5 to 1.0 mg given as a subcutaneous or intramuscular injection.」とありました。
日本語では「糖尿病の治療中の低血糖の対応法」と言う文献には「意識障害があり、点滴ルートがとれない患者さんに対しては、点滴が確保できるのを待つより、グルカゴンを直ちに投与する事を推奨する(グレード2B)。通常0.5?1mgを皮下、あるいは筋肉注射する。」と書かれていたと言う事になります。

また糖を舌下に投与する事も特に小児では有用との事です(こちらの文献。何と全文無料!)。
http://pediatrics.aappublications.org/cgi/content/full/116/5/e648
この研究では、対象が少ないのと、単なる水を投与しても2割程度にきいていると言うのが??ですが、水よりも糖を舌下に投与すると、血糖が上昇した患者さんが81.8%増えたと言う事で、NNTにすれば1÷0.818=1.22ですので有効です。糖を飲むのとでは、53.5%増えると言う事になり、NNTは1.88です。困った時には試みて良いでしょう。

研修医の皆さん(そして知らなかった指導医の皆さんはこっそり)覚えておきましょう。

それから研修医の皆さん、ブログ書いてや?、コメントも書いてや?。たまには有馬君の名文を読みたいとかわいい看護師さんが言っていましたがよ?(クラス未確定)。


救急講習会(ICLSコース)のお知らせ

2010年1月15日
救急講習会(ICLSコース)のお知らせ
救急部長 木村圭一

ICLSコースが2月13日、14日の二日間鹿屋商工会議所にて行われます。希望の方は是非!

申し込みは以下からお願いします(が、まだ申し込み始まっていません)。

http://www.tokushukai.com/study/index.html

早く受けたくてたまらない!!と言う人は、当院救急部までご連絡頂ければ予約させて頂きます。

ICLSとはImmediate Cardiac Life Supportの略で、1日かけて心肺蘇生法、病院内での初期治療を学ぶ講習会です。日本救急医学会の認定コースです。私の知る限りでは、現在内科の専門医をとる場合に必須の資格となります(ACLSコースでも可能です)。何故か救急医学会の専門医をとる時には必要ありません(もちろん受けていれば業績にはなります)。

資格うんぬんはともかく、心肺停止の患者さんには直ちに対処しなければならないので全ての医療従事者に必須の知識です。研修医の皆さんは、このぐらいの事は自分で出来、人に指導できなければなりません。

是非受けておきましょう!

それから注意点ですが、今回のICLSコースはTCLS(Tokushukai Cardiovascular Life Support)コースと言う物で、二日間コースです。ICLS+不整脈の対処について講習があります。
1日だけの参加ではICLSの資格はもらえませんのでご注意を。

楽しいインストラクターが全国から沢山来られますので、楽しく勉強できると思います。

ICLSについては以下をご覧下さい。

http://www.icls-web.com/


災害医療の講演会のお知らせ

2010年1月13日
災害医療の講演会のお知らせ
救急部長 木村圭一

2月5日(金)に災害医療の講演会を行います。鹿屋市の「ホテルさつき苑」です。皆さん奮ってご参加下さい。

テーマは「阪神淡路大震災から15年〜淡路病院救急外来からの提言」で、講師は兵庫県立姫路循環器センターの水谷和郎先生です。この先生は、15年前のあの日、淡路島で当直をされていたそうです。たくさん運ばれてくる重症患者さんを前にして、、、、色々考えた事があり、お忙しい診療の合間をぬって、災害医療についての啓蒙活動をして下さっています。

今回駄目元でお手紙を差し上げた所、鹿屋まで来て下さる事になりました(が、講演会の後でも福岡まで行けるような場所と思っておられたようで、、、、すみません)。

当日は、震災当日のビデオを見ながら災害医療の重要性についてお話して下さいます。とても評判が良い講演ですので、是非いらして下さい。

ちなみに、ビデオのダイジェスト版は以下から見られます。

http://www.awaji-hosp.sumoto.hyogo.jp/trainee/movie/movie.html

助けられる人を、、、、、蘇生をもう20分もやっている、、、、とても難しい問題です。

災害はいつやって来るか分かりません。鹿児島でも桜島がいつ大噴火するか分からないと言われています。鹿屋には海上自衛隊の基地もありますし、台風も来ます。普段から災害医療について知っておく事は重要だと思います。

また、1月17日のNHKラジオにこの先生も出演されるそうです。お時間のある方は是非聞いて頂ければと思います。聞き逃しても、あとでPodcastで聞けます。

http://www.nhk.or.jp/r1/bousaisp/

当日は懇親会も企画されています。そちらだけの参加でも大丈夫です!!皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。

お問い合わせは地域連携課までお願いいたします。
chiikirenkei@kanoya-aishinkai.com


またまた利光先生に負けました

2010年1月12日
またまた利光先生に負けました
研修委員長 田村幸大

1月10日は指宿菜の花マラソンでした。
医局からも私の他に、奥田先生、利光先生、石井先生がフルマラソンに参加。井戸先生が10kmに参加しました。

3時間を切る走りをする奥田先生に勝つ事が出来ないのは仕方が無いとして、利光先生よりは何とか速く走りたいと思っていました。

しかし、12月13日の青島太平洋マラソンでは私が3時間37分、利光先生が3時間31分で私の負け。

リベンジを期して菜の花マラソンに臨みました。P1000662
今回の大会は昨今のジョギングブームもあり、参加者2万人以上という過去最高の参加者数でした。
そのためスタートしても、実際にスタート地点を通過するまでに2分を要しました。また、当初の2kmほどはウォーキング状態。その後もランナーの団子状態で1km走るのに7分近くかかってしまう状況。ランナーがばらけて自由に走る事が出来るようになったのは10km辺りからでした。その時点で目標タイムから10分ほどの遅れ。遅れを取り戻そうと加速しましたが、過酷な登り坂の連続で足に堪えます。ここでもう利光先生に追いつこうという考えは頭から消えて、とにかく4時間P1000663以内で完走出来るよう無理をしない事に方向転換しました。25km地点では当院のドクターカーが止まっており、木村先生、外来の福岡さんの姿を見つけて手を振りました。手を振り返してくれて 少し元気になりました。しかし、とにかくアップダウンが激しく苦しい走りが続きます。35km地点をすぎてから、国立指宿病院まで約1kmの登り坂があり、気力だけで走っている状態。ゴール手前で井戸先生、奥田先生、2階病棟の立迫さんが応援してくれていました。しかし、ラストスパートで加速する元気も無くゴール。
3時間50分でした。これは9年前に走った時よりも10分遅いタイムでした。また利光先生にも負けてしまいました。
という訳で満足感が得られないレースとなってしまいました。
収穫は、体調を見て目標タイムを途中で修正した事で極端なペースダウンが無かった点くらいでしょうか。当初目標の3時間30分を狙って、10分の遅れを取り戻しにいっていたら、恐らく体が持たずに極端なペースダウンかリタイアとなっていたでしょう。

月に200km走る事を目標にしていましたが、自分に甘く150km程度しか走る事が出来ていませんでした。
200~250kmまで走行距離を伸ばして、来年こそは利光先生に勝ちたいと思い帰路につきました。


新聞に紹介されました

2010年1月7日

新聞に紹介されました

救急部長 木村圭一

当院は数年前に常勤医が4名と言う時代がありました。今は30人以上いますので考えられないですが、、、、

当然研修医の先生を受け入れるなんて事もしていませんでした。臼井さんや田村先生の努力により、研修医の先生を受入れる体制にもなりました。今年は6名もの方が来て下さいます。

これは驚異的な事であり、それがこの鹿屋と言う僻地で起こったと言う事に興味を持つ方が多いです。

よって?取材を受けました(と言っても私が受けた訳ではありません)。その事がメディカルトリビューンと言う新聞に載っています。11月19日号(VOL.42 NO.47、p.51)に載っています。

ネットでは以下から見られます(が会員登録しないといけません。無料なので是非!)。

http://mtpro.medical-tribune.co.jp/article/view/perpage/1/order/1/page/0/id/M42470511/year/2009

院長先生の写真がとても若々しくて良いです。プロの腕はすごいです。

前回の記事と上記をふまえて、、、、

問題 正しいのはどれか。答えは一つとは限らない。

(a)井戸先生はインタビューで、何故人が増えたのか聞かれ「う〜ん、分かりません」と答えた。

(b)井戸先生は、若い女性がインタビュワーとして来たので、今晩飲みに行きませんか?と誘った。

(c)井戸先生の写真は10年前のものである。

(d)井戸先生の医師としての出身地も鹿屋である。

(e)当院の面接試験では、院長室で水着審査が行われる(女性限定)。

解答は発表されません。


医師としての原点は、、、、

2010年1月5日
医師としての原点は、、、、
救急部長 木村圭一

紅白歌合戦を観ていて、必ず歌手の出身地を紹介しているのに気付きました。鹿児島県は森進一さんぐらいしか見つかりませんでしたが、、、、皆さんの出身地はどこでしょうか?

私は生まれも育ちも名古屋市内なので、名古屋市出身、あるいは愛知県出身と言えます。

ところが、お母さんが北海道出身で、お父さんは沖縄県出身、鹿屋市に住んでいたが、里帰り出産で北海道の病院で生まれ、すぐに鹿屋に戻った。2歳の頃に秋田県に転勤したが、すぐに大阪に。大阪の記憶しかない、、、、

こう言った人の出身地はどこなのでしょう???

何と!法的な定義はありません(出生地とか本籍と言うのはありますが)。国土交通省の定義と市役所の定義?と言うのがあるそうです。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0427/236847.htm?g=01
市役所の定義では「自分が出身地だと思っている所」であり、国土交通省の定義では「15歳までで最も長く住んだ場所」となっているそうです。

相撲の世界では、本人の好きな所を出身地として読み上げているんだそうです。市役グラフ所の定義に従っているんですね。紅白はどうなっていたのか気になりますね(なりませんか?)。

国生さゆりさんは、鹿児島県鹿屋市で生まれ、幼少期は長崎県佐世保市、その後再び鹿児島県鹿屋市に戻り、高校から広島県呉市に移ったようです。
噂では鹿児島の田舎出身だと言うのがイヤで,広島出身ですと言っていたらしいです(クラス未確定)。が、今は鹿児島出身と言って下さっています。国土交通相の定義に従っているんですね、、、、、

医師としての出身地、原点はどこなのでしょうか?今の研修医の先生達は、最初の2年間同じ病院で研修する事がほぼ義務づけられていますから、最初の研修病院と言う事ですね。当院で研修して頂いた方は当院が医師としての原点です。研修委員長の田村先生も同じです。故郷はずっと変わらずあって欲しいものだと思います。大隅鹿屋病院がずっと発展するように皆で頑張りましょう。

ちなみに、うなぎの産地は、最も長く養殖された場所と定義されているそうです。
http://www.unagiya.com/locality.html

中国産と言われれば、中国で最も長く育ったと言う意味です。現在はどこでどのぐらいの期間育てられたかを表示する義務があるようです。
http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/kansa/080618.html

ちなみに鹿児島県(特に大隅半島)はうなぎの生産量が日本一です。一度食べに来てくいやん!!

農林水産省の定義によれば、鹿児島県は平成20年度のうなぎ生産量は日本の35.72%を占めており、日本一です!!
http://www.maff.go.jp/www/info/bunrui/bun06.html#nen2

グラフがなかったので、作ってみました。合計が100%になりませんが、数字が書いてない県がありましたので、、、、


軍艦島上陸

2010年1月4日
軍艦島上陸

研修委員長 田村幸大

皆様、新年あけましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりました。

さて、新年最初の記事が医学や研修関連では無くて申し訳ございません。 P1000656

12月31日、1月1日と日直をして、年末年始を病院で過ごしました。
1月2日、3日はお休みだったので、長崎まで足を伸ばして軍艦島(正式名称は端島)に行って来ました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%AF%E5%B3%B6_%28%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%9C%8C%29

私は長崎大学の出身ですので、大学時代から軍艦島の存在は知っていました。
しかし、当時は上陸が禁止されていたため、遠く対岸から眺めるしか無い状況でした。
2009年4月に島が整備され一部に限って上陸可能となったため、上陸ツアーが開催されるようにな り ました。 

前日は長崎市内に宿泊しましたが、部屋からの夜景が 綺麗でした。P1000592
100万ドルの夜景と言われていますが、この夜景を 100万ドルとしたら鹿屋の夜景は100ドル位でしょうか?

当日は小型のチャーター船に乗って島を目指しました。
島自体が外海にあるため、長崎港での波がそれ程でなくても、島まで行くと波が高く上陸できないこともあるそうです。
50cm以上の波の時は上陸禁止になるそうで、夏はほとんど上陸出来なかったらしいので、島に着くまで安心出来ません。
幸い島に到着したところ上陸可能という事でした。P1000634
島は昭和49年(1974年)に無人島になったそうですが、その時から時間が止まっているかのようでした。(ちなみに私は

昭和48年生まれです)

多くの人々の暮らした痕跡を見て、感慨深いものがありました。

行き帰りは渋滞に巻き込まれて大変な思いをしましたが、大学6年生の時以来、13年越しの夢が叶って嬉しい思いで帰路につきました。

P1000621

P1000632

医学ネタでのスタートではありませんが、本年もよろしくお願い申し上げます。