紅(くれない)だー!(「べに」ではない。)

2008年1月25日

紅(くれない)だー!(「べに」ではない。)

2年次研修医 有馬 喬

唐突なタイトルであるが、X-JAPAN復活の喜びを表現しようとしたら、こう叫んでし

まった。

「紅」はX-JAPANの代表曲のひとつである。

以前お話したように、自分の笑いの原点は「ドリフターズ」である。 height=”167″
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一方で、音楽性の原点は「X-JAPAN」である。

奇抜な格好で、激しくも美しい旋律、そしてどこか悲しさを含む歌詞。

10年以上経っても色褪せることはない。

1997年12月31日、高校生だった有馬少年は東京ドームでこのバンドと別れを告げた

ライブのエンディングで「Tears」という曲が流れた。

有馬少年が中学1年生の時の3年生が卒業式で退場する時の曲がこれだった。

少年は退場する3年生そっちのけで、この曲に聞き入っていた。

それが最初の出会いだった。height=”204″
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卒業式後の掃除をほっぽらかして、友人とCDを買いに行った。

(翌日、掃除をサボったとして、2人とも、ひっぱたかれた挙句、武道場の噴き掃除

を命じられた。)

ただ、X-JAPANっていうバンドらしいよって情報だけで飛び出すとは少年もまだまだ

若かった。

当時のCDはまだ、シングルは8cm、縦長のパッケージで、CDをはめるプラスチックの

下半分て何のためにあるのかね~?とか思っていた時代である。パキッて半分に折っ

て手裏剣にしたのは自分だけではないはずである。

その時、友人が「Tears」のCDを見つけた。

「え!?眼?」

「うわ!ちょ、この頭ヤバくね?これ買って帰ったのを親が見たら、息子が不良にな

ったって思わんかな?」

「ていうか、YOSHIKIってバラ??」

このCDが発売された当時、「青いバラ」は地球上には存在しなかった。

現在「青いバラ」はサントリーが開発に成功している、おそらくこの頃は開発チー

ムが結成された頃だったと思う。

このCDを買った夜、少年はこの曲の再生を止めることができなかった。

その夜は、寝てる間もかかりっ放しだったと思う。

それほどの衝撃だった。

ちなみにこの曲は、作曲者であるYOSHIKIが自分の亡き父を歌ったものと言われてい

る。

実はライブのエンディングでもう1曲バラードが流れた。

「Unfished」という曲である。

おそらく、「まだXは終わっていない。いつかきっと帰ってくる。」と少年は信じ東

京ドームを後にした。

そして、1998年5月2日。

X-JAPANのギタリストHIDEが突然の自殺。(真相は分からないが…)

永遠に復活の可能性を絶たれ、少年は流れる涙を抑えることができなかった。

しかし、2008年1月20日、X-JAPANの復活ライブの発表があった。

解散して10年、少年も少し大人になった。

止まったままだった時代が再び流れ出した瞬間だった。

(ヴィジュアル系のバンドでは「時代」と書いて「とき」と読むことが多い。)

X-JAPANはある意味、自分の心の支え的存在である。

話は現実に戻すが、2月から大隅鹿屋病院に帰る。

診療業務のみならず、この病院にとって、そんな心の支え的存在にいつか自分もな

りたい。

今日は、かつてなんちゃってヴィジュアル系バンドだった自分らしく終わってみた

おしまい。