言い訳

style=
“MARGIN: 0mm 0mm 0pt; tab-stops: 35.45pt 70.85pt 106.3pt 50.0mm 177.15pt 212.6pt 248.05pt 283.45pt 318.9pt 354.35pt 389.75pt 425.2pt 460.65pt”>
“mso-fareast-font-family: ‘MS 明朝'; mso-fareast-language: JA”>
2007
“FONT-FAMILY: ‘MS 明朝'; mso-fareast-language: JA; mso-ascii-font-family: ‘ヒラギノ角ゴ Pro W3′; mso-hansi-font-family: ‘ヒラギノ角ゴ Pro W3′”>年1229

言い訳

style=
“MARGIN: 0mm 0mm 0pt; tab-stops: 35.45pt 70.85pt 106.3pt 50.0mm 177.15pt 212.6pt 248.05pt 283.45pt 318.9pt 354.35pt 389.75pt 425.2pt 460.65pt”>
“FONT-FAMILY: ‘MS 明朝'; mso-fareast-language: JA; mso-ascii-font-family: ‘ヒラギノ角ゴ Pro W3′; mso-hansi-font-family: ‘ヒラギノ角ゴ Pro W3′”>
研修委員長 木村 圭一

 本当は「研修委員会に参加しました(その2)」を書く予定でしたが、あまりにも私が略語にうるさいような意見が続くので(+_+)、
言い訳を書きます。田村先生、当直たくさん入れたりしませんのでご安心下さい。

 ちなみに、シャ乱Qの歌は「いいわけ」です。漢字は出てきません。はい。有馬君に歌ってあげた事はまだないかな。
今度以下の動画のように飛び跳ねてみせよう!しかし、元バレー部の田村先生ならば出来るでしょうが、
私ならば10cmぐらいしか飛べないでしょうね。

“http://jp.youtube.com/watch?v=6ASagU78WYo”>http://jp.youtube.com/watch?v=6ASagU78WYo

 ちなみに、「ズルい女」「シングルベッド」「ラーメン大好き小池さんの歌」も歌えます。

 何故略語を使うと、正式名を知っているのか尋ねるのでしょうか?知らなかったらその場で教えてあげる事もしません。
「調べてくいやん」と言います。鹿児島弁で「調べて下さい」と言う意味です。山形では「調べてけんねが」名古屋では
「調べてくれんと困るでいかんわ」関西では「調べといてや?」等と言うのでしょう。

 アハ体験と言うのが時々テレビで紹介されています。なるほど!と思った時に脳内に色々な物質が出て、それがよいと言うものです。

“http://ja.wikipedia.org/wiki/”>http://ja.wikipedia.org/wiki/茂木健一郎

 上記のWikipediaの記事によれば「人はアハ体験の瞬間に、わずか0.1秒の間に脳内の神経細胞が一斉に活性化するという。
「誤解を恐れずにいえば」という前提ではあるが、アハ体験とは、わかった瞬間に頭がよくなる体験であるともしている」とあります。

 略語が分からなかった場合、自分で調べて、なるほど!と分かった瞬間に頭が良くなるのです。
こういった経験の積み重ねがカリスマ内科医、カリスマ小児科医、カリスマ精神科医(今の研修医の先生達が目指す科を入れてみました)
を作るんだと思います。私は尾崎豊も好きですので、この茂木先生結構好きです(?と思った方は上記のリンクを読んで下さい)。

 ちなみに、ICLS講習会(おっと!正式名を忘れる所だった、、、Immediate Cardiovascular Life
Supportで、救急医学会認定の二次救命処置の講習会です)では、何かを受講生の方が忘れた時、例えば周囲の安全確認を忘れた場合
「ほら、『あ』で始まる何か忘れていませんか?」と聞きます(受講生は「???」となる事もしばしばですが、これはやりすぎかな、、、)。
「上から物が落ちてきたりしたら大変ですよね」「あっ!安全確認ですね。忘れていました」みたいに教えています。
答えを言うのじゃなくてアハ体験をしてもらおうと言う訳でしょう。

 学会発表、論文などでは、明らかに誰でも知っている略語以外は最初にことわる必要があります。CTでも「computed
tomography(以下CT)」と書かなければなりません。学会発表をした時に会場から私よりももっと細かい人から、
それは一体何の略なんですか?と聞かれた時困りませんか?例えばDMと言った場合、普通は糖尿病(diabetes mellitus)
ですが、Direct mailだったり、産婦人科の先生は胞状奇胎(destructive mole)だったりします。

 KYだね?と女子高生に言われても意味が分からないだけで問題ないですが、医療の現場では困ります。
正しく相手に伝わるようにしなければなりません。

 上記のような事にならないためには、普段から略語が出てきたら調べると言う習慣が重要です。調べないと気持ちが悪い、、、
と言う風になったら完璧です。人間は怠ける動物ですので、研修医の時にやらないと一生やりません。
田村先生が離島医療の記事でドラマみたいじゃないですが等と書いておられますが、難しい事を何でもない事のようにやるのがすごいんです。
病院では、毎日医龍みたいな事が起こっているのですが(血が噴くことは余りないですね。はい)、誰もすごいだろ!
みたいな事を言わないでやっている、、、、これが重要です。

 感染症を疑ったらグラム染色をするのと同じように(グラム染色しないと抗生剤を決められないでしょ)、
女性と飲んだらメールアドレス聞くように(これはA君だけかな)、略語は調べるようにしましょうね!


整形外科研修①

2007年12月28日

整形外科研修①

2年次研修医 有馬 喬

今日は整形外科研修のお話。

当院の整形外科診療はご存知、前田和彦先生が独りで支えている。(ただし土曜の外

来は、応援の先生に来ていただいている。)

高齢社会を背景に入院患者さんには高齢者の転倒による骨折が多い。

よく聞くのは橈骨遠位端骨折(コーレス骨折が多い)や大腿骨頸部骨折などといった

ところか。

実際に担当した患者さんでは大腿骨頸部骨折が多かった。

整形外科研修も診察から手術、リハビリと色々経験できた。

大腿骨頸部骨折の手術では、研修が終わる頃には挿入するピンの位置決めから、全

て自分でさせてもらった。

余談だが、先日お話したとおり、あらゆる手技をするその瞬間は練習だと思ってや

ったことはない。

この患者さんが歩けるようになるかは、自分が今から入れるたった1本の金属に懸か

っており、練習(研修?)と思ってやるのはそもそもおかしい。

この認識こそ、医師としての基本的な責任感であり、研修医という表現が嫌いな理

由のひとつである。上級医が責任を取ってくれるということが、自分に責任がない

とどこかで思っている研修医はたくさんいると思う。

話を戻すと。

入れる前は単なる冷たい金属が、歩けるようになった患者さんの笑顔で温かくなる

自分が整形外科の好きな一面である。

大腿骨頸部骨折にはもうひとつ特別な思い出がある。

今日はその思い出を楽しんでいただきたい。

時は1999年3月。

有馬少年は高校生だった。なんちゃってヴィジュアル系バンドでドラムを叩いてい

た。

衣装には「X-ARIMA」と刻印されていた。

他のメンバーはGLAYみたいな格好をしていた。

今の言葉でいうと、「KY」である。

神童だったはずだが、あんまり成績は良くなかった。

そして、有馬少年は大学入試センター試験でとんでもない点数を取った。

今だから笑えるが、国語が200点中70点だった。

ちなみにボーリングのアベレージも70点である。

これを覆すのは、なんちゃってヴィジュアル系バンドの自分が東京ドームを満員に

するくらい困難なものだった。おそらく当院の会議室位で十分である。

「え?ひょっとして神童じゃなかったかも?」なんて18歳になって初めて思った。

そんな中、実家から電話が入る。

「ばあちゃんが足折って入院したから帰ってきなさい。」

すぐ病院に行くと、主治医の先生から説明があった。

「大腿骨頸部骨折ですね。この骨折は高齢者の方に多く、手術をすれば、3割の方は

元通り、3割の方は不自由が残り、3割の方は寝たきりになってしまいます。

寝たきりになると、肺炎とか尿路感とか感染症にもなりやすくなりますので、高齢

者の生命予後を決めてしまうくらい怖い骨折なんです。手の骨折とはちょっと訳が

違います。」という内容だった。

この時は全く深刻な感じで聞いてはいなかった。

そして手術は無事に終わった。

「やっぱり、何て事ないじゃん?」

しかし、次の日の早朝6時半。病院から電話が入った。

「おばあちゃんが大変なので来てください。」

あわてて病院へ行った。

すると、「豚のエサをやらんといかんから家に帰る。」

と大声を上げて、立ち上がろうとする祖母の姿。

当然立てるはずはないのだが、もがいて立ち上がろうとしていた。

状況が読めない。

センター試験の国語も何言ってるかさっぱり読めなかったが…

たった一日入院しただけで、こんな姿になるのか?

結局、鎮静剤を打つことになった。

今思うと、セルシンかなんかだったのか。

鎮静剤を打たれる家族の姿は少年には強烈だった。

何もしてないが、その状況に疲れきった少年は、家に戻り1冊のアルバムを開いた。

そこには、幼き日の少年(実に愛らしい)をおんぶする優しそうな老人が写っていた

その老人は、少年がこの世に生まれたことを誰よりも喜び、誰よりも大切にしてく

れた人。

歯の生えたばかりの少年に背中を噛みつかれても、噛み疲れるまで我慢した人。

学校から帰った少年にどんなに遠くにいても必ず「おかえり」と言ってくれた人。

時に、厳しく少年を怒った人。

しかし、両親に怒られた時は必ずかばってくれた人。

少年が足を向けて寝てはいけない人。

少年はその夜、

独り枕を濡らした。

少年は自分の大切な人が歩けなくなるばかりではなく、消えてしまいそうな恐怖に

包まれていた。

「大学入試の勉強は自宅でします」、と言ってしばらく学校を休んだ。

そして、少年は毎日病室へ行った。

しっかりしなくてはと思いつつも、自分を育ててくれた温かい空間を取り戻したか

った。

何週間かして、無事にリハビリも進み、退院の日を迎えた。

車で迎えに来た父が「乗りなさい。」と言った。

少年は「俺は先に歩いて帰ってるよ。」と言った。

不思議そうな顔をする父。

少年にはどうしても誰よりも先に、祖母に言いたい言葉があった。

かつて、家に帰ってきた少年に必ずかけてくれたあの言葉を。

「ばあちゃん、おかえり。」

暗くなっていた少年の家が、再び明るくなったことを、満開の桜が祝福していた。

そして、少年の大学入試の桜は散った。(笑)


2007年クリスマス

2007年12月27日

2007年クリスマス

2年次研修医 有馬 喬

12月23日、天皇誕生日。

とある事情で傷心の友人と飲んでいた。

本人は「傷ついてない」と言い張っていたが、それは彼の口癖であるので無視して

勝手に慰めた。

もう何年も前の話になるが、その友人はかつて自分が傷心の時、夜明けまで一緒に

飲み明かしてくれた事がある。そんな彼を放ってはおけなかった。

・・・。

決して、ただ自分が飲みたかったからではないと記しておく。

12月24日、日曜祝日の振り替え休日。

世間はクリスマスイブ。

世の中の流れにおいていかれると、ちょっと寂しくなってしまう日本人の自分は

、カーネルサンダースへ会いに行った。

混み合う時間をずらそうとは思っていたのだが、お腹の時計が夕食の時間を何回も

知らせる(スヌーズ機能付である)ので、18時半に行ってしまった。

最悪に混んでいた。

やめとけば良かったが、寒いしドライブスルーに入ってしまった。

当然全くもってスルーされない。

ちなみに、車の窓の位置が低いため、店員さんと自分がお互い身を乗り出さないと

商品の受け取りができなかった。

結局寒かった。

さらにちなみに、一人分買ったのが若干恥ずかしいと気付いたのは、

「え?以上でよろしかったですか?」

と店員さんが2回聞いた時だった。

・・・。

12月25日、今日は小児科病棟のクリスマス会。

朝回診が終わると、看護師さんは言った。

「先生達、サンタさんの格好でお願いしますよ。昼からですからね。」

「しょうがないなあ~。」

と言いつつも、ノリノリだった自分に用意されていたのは、トナカイだった。

しかも、なんと縦にも横にも小さい衣装だろうか!?

あまりにも胴の長さが足りず、背中のファスナーを閉めようとすると…

その…

股間の部分に疼痛が走る。

どう見ても忘年会の出し物級に品がない。

しかし!サンタクロースを待っている子供達を裏切るわけには行かない。

気合で猫背になってチャックを閉めてもらい、取り敢えず「ありまっくま」は「と

なっくま」になった。

ちなみに、ファスナー、ジッパー、チャックの違いを知っているだろうか?

股から肩までが小っちゃくなってる「となっくま」には説明している余裕がないの

でYKKのホームページで確認して頂くとしよう。

“http://www.ykkfastening.com/japan/faq/a007/info002.html”>http://www.ykkfastening.com/japan/faq/a007/info002.html

病棟へ戻る。

「あ、あの~。ぱっつんぱっつんなんすけど…?これでいいですかね?なんか忘年会

のコントみたいですよ。」

「あ~、…全然大丈夫ですよ、はい、帽子。」

そう言った看護師さんの含み笑いは忘れない。

帽子にはまさにクワガタみたいな角が付いていた。

height=”171″
alt=”20071227-blog001″
src=
“http://202.133.118.29/trainee_doctor//media/img_20071227T124733890.jpg”
width=”240″ />

爆笑するママ、哀れみの目で見るパパ、大泣きする子供、隣の病棟から指をさす婦

人科の患者さん。

 

height=”203″
alt=”20071227-blog002″
src=
“http://202.133.118.29/trainee_doctor//media/img_20071227T124735484.jpg”
width=”252″ />

・・・。

時計の針が妙に遅く回っていた気がした。

どれくらいの時がたったか、となっくまは静かに控え室へ消えていった。

余ったお菓子と崩れ去ったアイデンティティ※を手に…。

※アイデンティティ:自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保

持される概念。


東京で研修委員長会議がありました(その1)

2007年12月26日

東京で研修委員長会議がありました(その1)

研修委員長 木村圭一

 有馬っくまに歌った歌を覚えられている木村です。はい。レパートリーはほとんどないので、
ほぼ全ての歌を彼に歌ってあげたと言う事になりますね。

 12月22日(土)東京で徳洲会の研修委員長会議がありました。何故この日程なのでしょうか???クリスマスの3連休なのに、
22日は病院の忘年会なのに!!でも、かわいい研修医のみなさんのためなので、、、、行ってきました
��ついでに東京見物も少ししてきましたが)。

 有馬君の記事に続けてクリスマスの話題を、、、、このブログはコメントがつけられるともっと良いと思いますが、、、、
つけられないので。

 私の1年目のクリスマスは、小児科研修で迎えました。クリスマス会で「ばいきんマン」を誰もやりたくないので、
私にさせるためだったのではないでしょうか?何故か小児科研修が12月になるように組まれていました
��本当は冬の方が患者さんが多くて勉強になるからです)。

 トナカイのツノを摂子でやって部長先生に超うけ、受け持っていた髄膜炎の男の子にはあぜんとされた記憶があります。実はそれまで
「あんぱんマン」を見た事がなく、25日の病棟のクリスマス会の前日(つまりクリスマスイブ)にビデオを借りて見ました。
そんな時ほど誰かに会うものです。病棟の士長(男性だったのです)さんと会いました。彼は単身赴任だったので
��体表解剖の勉強をするつもりだったのでしょう)、女性のビデオを借りていました。
私はとっさに借りようとしているアンパンマンのビデオを隠したのですが、見られてしまいました。お互い寂しいクリスマスですね、、、、
と言われました。確かに、、、しかし、へえ?、じゃむおじさんはこういう人物なんだ、、だから部長先生がやるんだ、、、、
などとかなりはまった事は告白しておきます。

 それから、保育所でサンタさんもさせて頂いたのですが、大きなサンタさんだね!とある子供に言われたので、別の子に、
「大きなサンタさんだよ?ん」と言ったら泣かれてしまった事も告白しておきます。それ以来、
サンタさんをやって下さいと保育所に言われた事はありません。そうそう、学生時代には女装を誰でもさせられる物ですが、
私は1年生の時にさせられて以来、お前はしなくていい、、、といつも言われます。何故??

 2年目のクリスマスイブは、先輩と一緒にスポーツクラブで汗を流してから酔虎伝で飲みました。後日ある先生が、「木村先生は、
今年のイブは子持ちと過ごしたらしい」と医局秘書さん言った所、「先生が本気なら、私達応援しますよ!」
と少女漫画のように目をきらきらさせて言われました。あの、、、、子持ちって言っても女性ではなく、もちろんシシャモでもありませんが
��シシャモは食べたかもしれませんが)、、、、と言えるような機転は持っておりませんでしたので、しばらくたつと、
私は年上の女性と付き合っているらしいという噂になりました。

 子持ち=年上、異性、、、、人間と言うのは恐ろしく勝手な想像をするものですね。頭の体操と言う本の問題にそういうのがありました。

 重い荷物を台車に乗せて坂道を上っている親子がいた。後ろで台車を押している人に尋ねた。「台車を引いているのはあなたのお父さんですか?
」と。すると「いいえ違います」と。「それでは息子さんですか?」と尋ねると、やはり「違います」と。一体どういう事だろう???

 と言う問題です。答えはお母さんだったというのです。力仕事=男ではないと言うことです。

 診療の場面でも、胸痛だから心臓、、、と思っていたら、帯状疱疹だったなんて事はあります。思い込みには注意しましょう。

 研修委員長会議とは全然関係ない話になってしまいました。続きはその2で。


離島医療

2007年12月25日

離島医療

後期研修委員長・内科部長 田村幸大

12月21日、22日と2日間、徳之島に出張しました。

よく南の島でのんびり気分転換をしていると思われますが、断じてそんな事ありませ

ん。

徳之島で勤務されている先生方の名誉のためにも強く否定しておきます。

のんびりどころか”激しく忙しい”のです。

軽症の患者さんが押し寄せてくるのは、”静かに忙しい”と表現します(なんか変で

すが)。そうなんです。重症患者が押し寄せてくるのです。

ちなみに2日間滞在中の仕事内容ですが、

1日目:シャントのPTA(略語だけでは木村先生から注意されるかもしれないので

percutaneous transluminal angioplasty:風船を使ってシャント血管の狭窄部分を拡

張する治療)3件、透析患者さんのデータチェック50名、外来6名

2日目:外来50名、内1名は昼から緊急で透析導入。病棟コンサルト数名。

しかし、私の師匠の名瀬徳洲会病院循環器の生野先生は150名位の外来をやっています。

鹿屋の方も忙しく応援に行っている場合では無いという話も出てきそうですが、徳之

島徳洲会病院は医師が不足しています。当院以上に厳しい環境でやっている以上、行かない訳にはいきません。

では、なぜ鹿屋から徳之島に行くようになったのか?

3年目に福岡徳洲会で勤務していた時、翌年の1年間、徳之島に行って欲しいという依頼がありました。

徳之島と言えば徳田理事長の生まれ故郷です。離島で勤務するのも良い経験になるかと思い、鹿屋に帰るのでは無く徳之島へ行く事にしました。
しかし、徳之島へ行く事

が決まってから周囲の人から言われる言葉は「先生凄いね~、火中の栗を拾いにいく勇気があるんだね~」と。

“火中の栗を拾う?”

よくよく話を聴いてみると内科の常勤医はゼロ。4年目になる私が唯一の内科医だ

と。

武者震いをおさえきれず、「出来るところまで頑張ってみよう」と心に誓って徳之島

に降り立ったのは、平成13年5月の事でした。

普通は遠方から引っ越しをしてきたらその日1日くらいは家の片付けなどさせてもら

えそうなものですが、病院に着いた数時間後から外来をやっていました。ようやく落

ち着いて時計を見ると夜の11時になっていました。

これまで経験した事がない手荒い歓迎ぶりに涙が出そうでした。

「まあ、翌日は引っ越しのために1日フリーにしてもらっているからいいか」と思い

帰宅。

しかし、翌日引っ越しの荷物が届いて間もなく病院からの魔の電話が…

「外来を手伝ってもらえませんか?」

人がいない所に来てしまった以上、「No」は言えません。

引っ越しも途中で放り出して、病院に向かい夜中まで働きました。

連日、帰宅は日付が変わってから。一方、朝は6時30分から回診(よく遅刻していま

した)。

整形外科、脳外科、小児科の常勤医は不在で、その領域の患者さんを入院させて「誰にお願いしたらいいのですか?」と尋ねたら、「お前だよ」
という返事。入院させた

人が主治医になるという恐ろしいルールでした。

そんな調子で引っ越しの荷物が片付くのに1ヶ月くらいかかりました。

こんな話ばかり書いていると”離島医療残酷物語”というタイトルにした方がいいの

では無いかという声が聞こえてきそうですが、意外と振り返ってみると自分の生き方

を決めた大きな出来事に色々と出会う事が出来たので、正直なところ「行って良かっ

た」と今では思っています。

例えば、今は得意としている腎臓内科・透析の領域も、なにも知識が無いまま徳之島

に行って、月1回湘南鎌倉病院から来られていた小林先生から指導を受けて、診られ

るようになりました。その後、徳之島を離れても腎臓内科・透析と深く関わっていく

きっかけになりました。飲み会に行っても熱く透析の話を語っている先生でしたが、

最初に指導を受ける先生というのは大事ですね。もしも、この時透析にまつわる負の

側面ばかり話をする先生から指導を受けていたら、きっと透析にのめり込む事は無

かったでしょう。

他にも幾つか思い出に残っている事はありますが、その内の一つを。

私が当直している時に50代の男性が胸痛を主訴に救急搬入されました。

血圧こそ保たれているものの、全身に冷や汗をかいており、一見して重症感が漂って

いました。

心電図を取ると予想通り(こんな時の予想は外れて欲しいものですが)、Ⅱ・Ⅲ・

aVFのSTが上昇しているではありませんか!

一応、徳之島に転勤する前に名瀬徳洲会病院で冠動脈の治療(以下PCIと略します、疲れてきており、
木村先生に注意されても良いのでフルスペルは書きません、だからと言って来月の当直増やさないで下さいね)
を生野先生から指導されていたので、心臓カテーテル検査(以下心カテ)へと突入しました。

造影してみると大きな右冠動脈の全長に渡って高度狭窄がありました。幸い検査が始まる頃に胸痛は改善し、心電図変化も戻っておりました。

画像を名瀬徳洲会病院へ電送し、生野先生と話合いました。

生野先生「これは手を出すと結構大変な事になりそうだから、今日はヘパリン流して

体制を整えてから来週にでも一緒に治療をしようか」

私「はい、そうします(かなりホッとしました)」

不安定狭心症という事で入院。

翌朝、患者さんは「すっかり良くなりました」と言われておりました。

ホッとしながら外来をやっていると病棟からコール。

「あの患者さんが胸が苦しいと言って冷や汗をかいています」

昨日もヘパリンやミリスロールを流していたら改善したから何とかなるかと思いなが

ら薬を投与しますが、改善しません。

改善するどころから徐脈になり、完全房室ブロックになってしまいました。

前日の造影所見を思い出すと、とても一人では治療したくないという気持ちが先立ち

ました。

しかし、目の前の患者さんの状態はみるみる悪くなっていくし、生野先生がいる名瀬

までヘリコプターを要請しても実際に名瀬で治療開始するまでに4~5時間はかかる

事を考えるとそこまで持ちそうもありません。島には他に心カテを出来る医師はいま

せん。そんな状況が背中を押してくれて、色々考えながらも「自分が治療する」と決

断するまでに時間はかかりませんでした。

やり始めてみると予想通り難渋しました。一時ペーシングを挿入し、治療を開始した

ものの、閉塞した血管を拡張しても拡張しても、血流が再開してくれません。No

reflowという現象です。血圧はノルアドを使っても80~90と言ったところです。患者

さんは「先生、一生懸命やってくれたから、もう俺死んでも良いよ」と言い始める始

末。結局、何とか血流も戻って3時間に及ぶ壮絶なPCIが終わりました。

病棟に帰ってからも、血圧は低く、尿が出てくれません。心不全状態でした。

当時、徳之島にはIABP(わからない人はgoogleで調べて下さい)がありませんで

した。

経過を名瀬にいる生野先生に伝えたところ、

「IABPを朝のフェリーに乗せて送るから使ってみて」と。

フェリーの到着を待ち、日曜日でしたが朝からカテ室のスタッフをコールしてIAB

��を挿入しました。

これが徳之島の有史(そんなに大げさなものでもありませんが)の中で第一号のIA

��P挿入でした。

��ABP挿入後病棟に帰りましたが、島にはICUやCCUなどという設備はありま

せん。そんな環境で、しかもIABPを見るのも触るのも初めてというスタッフばか

りです。最初はずっとついて診ていましたが、他にも患者さんはいるし、何日も寝な

い訳にもいかず離れている時間も結構ありました。

結局、患者さんの状態はみるみる改善し、1ヶ月後には元気に退院されました。

それまで徳之島では急性心筋梗塞の患者さんはヘリコプターで名瀬に搬送されていました。
あまりにも重症の場合にはヘリコプター搬送も危険なので、血栓溶解などを行い島でそのまま診ている事もありました。当然、
亡くなられる方もおりました。

私がいた1年間10数件の心筋梗塞の方が来院されましたが、すべて島の中で治療が完結し、ヘリコプター搬送になった方はいませんでした。
この事は都会の病院では当たり前の事で、この治療に難渋したケースもPCIに慣れた先生がしていたらあっさり終わっていたのかもしれません。
だから、「自分が患者さんを救ったのだ」と言うつ

もりもありません。

今でも思いますが、本当に頑張ってくれたのは、看護師、MEなど周囲の人々でし

た。ICUもCCUもない、IABPが入っている患者さんなんて診たこともない、

そんな環境でも「島の人のために先生が頑張ってくれているのに、看れないなんて言

えないよ」と言ってついてきてくれたスタッフに本当に勇気づけられました。チーム

医療とよく言いますが、本当にチームの力で乗り越えていったと思いました。

医学生の皆さん、実際に研修医をしているみなさん、どんなに技術を身につけても、

日々の仕事が円滑に進むようにサポートしてくれているスタッフがたくさんいるので

す。そのような表に出ていない人々の手助けが無ければ、何も出来ません。例えば

「IABPを入れた患者さんは最初から最後まで先生が診て下さい」なんて徳之島の

ような環境で言われた日には患者さんが死ぬか自分が疲れて死ぬかの体力勝負になってしまいます。
医師として半人前の時期でも皆さんをサポートしてくれるのは、皆さんが患者さんに対して”一生懸命”だからです。それがあれば、
周囲のスタッフは、

きっと頼りになるパートナーになってくれます。

医師として一人前というのはどう定義すればよいのかわかりませんが、それまでいつ

も上の先生に守られているという安心感の中でやっていた日々から、徳之島で自分し

かいない、自分が何とかするしかない、そして頑張ったら自分でも何とか出来たとい

う経験を積み重ねて一人前の医師に少し近づけた気持ちになりました。そして、この

経験が自信となって6年目でも鹿屋に帰って一人でやってみようという思いが持てる

ようになりました。徳之島の1年間は一人の医師として自立に向かって歩き出すきっ

かけになった1年間でした。

だから、恩返しのつもりで今も徳之島に通っています。

ドラマほど格好良くないし、大変な事も多いけれど、一人の医師として成長するきっ

かけを与えてくれるのが、僻地(鹿屋も含みます)・離島の研修なのでしょうか。

そんな環境の研修も良いものですよ。

 


サンタクロース

2007年12月24日

サンタクロース

2年次研修医 有馬 喬

「クリスマスキャロルが流れる頃には、

君と僕の答えもきっと出ているだろう…。」

なんて歌があった。木村研修委員長も先日とある忘年会で歌っていた。

僕の記憶が確かならば、ノリノリであったと記憶している。

この曲がリリースされた1992年当時、神童有馬少年はこの曲を聞いて、

「男と女、そんなに簡単に答えが出るんだったら、そもそも昼ドラとかやらないで

しょ?」

と、評していたらしい。全くもって末恐ろしい少年である。

クリスマスも近くなり医療センターの小児科病棟はいつにも増して華やかである。

今日はクリスマスツリーが登場した。

某指導医の先生の白衣にはサンタクロースがたくさん描いてある。

僕もリラクッマのがあれば買おうかなと思った。

しかし、当院には小児科がない…。

ふと、当院に戻った時の事を考える。

小児科の無い病院で、

リラックマの描かれた白衣を着て、

胸元から濃い目の胸毛が覗いていたら、

若干厳しい。

…一旦、保留とする。

当院に小児科があればいいだけの話なのだが。

ちょっといつもの脱線。

というか、本来はこちらが本線であるべきか。

大隅半島には小児救急に対して、入院できる施設が鹿屋医療センターしかない。

医療センターの小児科の先生方は多大な負担を強いられているのが現状である。

大隅半島には間違いなく、もうひとつ小児科の入院施設が必要である。

当院が救急医療をはじめとしたこの地域の基幹病院と自負するならば、それは当院

が担うべきである。もっと言うならば、当院には産婦人科、常勤の脳外科も必要で

あると思う。

ここは地元鹿屋の神童、井戸先生や医師対策の方に期待する。

話を戻すと、2007年12月9日のロイター通信で、「太ったサンタに批判の声、ブート

キャンプ強制参加も。」という記事があった。

その内容は、「子供の肥満率が上昇する中で、子供たちのあこがれであるサンタ

クロースが肥満体型なのは良くない。」との事であった。

確かに分からなくも無い。

しかし、家庭での子供の栄養管理の不行き届きにサンタクロースを巻き込むのはど

うかと思った。

ちなみにソリを引くトナカイは8匹と決まっていてそれぞれに名前がある。

ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクセン、ドンダー、ブリッツェン、キュ

ーピッド、コメットである。暗記は不要。

(物の本によれば9匹めがいるとかいないとか。)

では、ビリー隊長がサンタクロースになったらいいというのだろうか?

「そこの君!寝てないで一緒にやろう?」

「どうした?君の力はそんなもんじゃないだろ?」

夜中叩き起こされていきなりブートキャンプは厳しい。

挙句の果てにもらえたプレゼントは「ビリーバンド」

・・・。

完全にヘタこいている。

やはりサンタクロースは従来どおり、かっぷくの良い白ひげのおじいさんでいいの

ではないだろうか?

「ジングルベール、ジングルベール」と歌を歌う子供達を見て、ふとそう思った一

日だった。


感染症

2007年12月20日

感染症

2年次研修医 有馬 喬

ペニシリンGという抗菌薬がある。

肺炎球菌や連鎖球菌などのグラム陽性球菌や一部の嫌気性菌を得意とする抗菌薬で

ある。また、淋菌や髄膜炎菌にも有効である。

この抗菌薬、上述の得意とする菌に対して、極めて強力な抗菌作用を発揮する。し

かし、血中での半減期が30分と短く、あっという間に排泄されるため、頻回投与が

必要であり看護師さん泣かせではある。

まるで日本刀のような鋭い切れ味を持ち、そしてその引き際は美しい。

・・・何か思い出さないだろうか?

この「日本刀のような切れ味、そして美しい引き際」は僕が何かを語る時、必ず使

うフレーズである。

そう、「わさび」である。

わさびは口に入れた瞬間、芳醇な香りと供に極めて鋭い辛さが一気に味覚、嗅覚を

強烈に刺激し、そして気が付くと何事も無かったかのように消えている。

素晴らしい。まさに、今の日本人が忘れている日本の心である。

(日本の心は「国家の品格」教育委員長である利光先生にお願いするとして、これ以

上は語らない。)

これがたとえば唐辛子ならどうだろう?

口に入れた後、1テンポ以上遅れてだらだら辛さがやってくる。そしていつまでも口

の中に居座る…。勘弁してくれ。自分は、唐辛子が嫌いなわけではないが、普通に

食べると、バスタオルが必要なくらい発汗する。

例のごとく、さらに脱線するが、わさびはアブラナ科ワラビ属、日本産の植物であ

る。

水の中(いわゆるわさび田)で育てる「水わさび」、畑で育てる「畑わさび」がある

刺身を食べる時用いるのが水わさびの根をおろした物で、居酒屋のわさび漬けやた

こわさなどは畑わさびの葉や茎を用いている。

水わさびの根は、太く大きい。しかし畑わさびの根は細く小さい。自然界に自生す

るわさびはいわゆる畑わさびである。

わさびは、根から特殊な物質を放出し、他の植物が周りに生えてこないようにして

いる。この物質は放出したわさび自身の成長も抑制してしまうため、畑わさびの根

は細い。しかし、水わさびはわさび田を絶え間なく流れる水でこの物質が適度に洗

い流されるため、根の成長が抑制されず、大きくなるのである。

話を戻すと、ペニシリンGは多くの菌には効かないが、有効な菌を確実に倒せる。も

ちろん、投与量や投与間隔を適切に処方した場合であるが。

いわゆる広域抗菌薬は多くの菌に有効だが、抗菌力自体が強いと言うわけではない

。中途半端な抗菌力のために、耐性菌を医原性に作ってしまうこともある。抗菌薬

を処方するすべての医師は、科を問わず、感染症を学ぶことが義務であると思う。

ペニシリンはすべての抗菌薬の基礎である。

柔道で言うところの「受身」

合唱で言うところの「ら、ら、ら、ら、らー」

応援団田村先生で言うところの「押忍!」のようなものである。

青木眞先生の「レジデントのための感染症診療マニュアル 第2版」を拝読させてい

ただいている。第1版ももちろん持っているが、さらに目からうろこ(コンタクトで

はない)的な内容で大変勉強になる。

今更気付いたが、わさびの内容が半分以上になってしまった…。

しかし、「急性腹症のCT」の某先生は「例えば2時間の飲み会で、10分でも学術的な

話ができれば、その飲み会の意味は十分ある。」と仰っていたので、このブログは

半分も学術的な内容を含んでいるから意味はあるかもしれない…。


シミュレーター

2007年12月21日

シミュレーター

研修委員長 木村 圭一

 パイロットは実際の飛行機以外にシミュレーターで訓練するのは有名です。医療業界は命を預かると言う点で同じなので、
航空業界の事をたくさん取り入れています。シミュレーターも同じで、医療業界には多くのシミュレーターがあります。

 先日当院に新しいシミュレーターが入りました。気道管理トレーナーと中心静脈ライン挿入トレーナーです。

 気道管理トレーナー

“http://www.laerdal.co.jp/document.asp?subnodeid=14217854″>http://www.laerdal.co.jp/document.asp?subnodeid=14217854

 IVトレーナー 胴体(中心静脈ライン挿入トレーナー)

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気道管理トレーナーは読んでその字の ごとく、気道管理を練習する物です。口対口人工呼吸はもちろん、バッグバルブマスクによる換気、
気管挿管も出来ます。食道挿管すると胃のような袋が膨らみます。

 中心静脈ライントレーナーは中心静脈ラインの挿入の訓練をする物です。中心静脈ラインは重篤な合併症を起こす事があり、
最近は院内で認定した資格を持った人にしかさせてはいけないとか、
大きな病院では専門の部署を作ってそこの医者と看護師だけが入れるなどとしています。当院では、まだそういう事はしていませんが、
今後このシミュレーターを使った講習をして行く予定です。自分が不合格になるのが怖いので(^.^)、誰よりも早く練習します。
研修医の皆さん、びしびし鍛えてあげますので待っていて下さいね!はい!(有馬君がまねしているので、そう言っているんでしょうね)。

 当院にあるシミュレーターは、今までBLS人形とAEDトレーナー、セーブマンだけだったので、みんなの腕も上がる事でしょうね!
救急救命士さんの挿管認定訓練もさせて頂いていますので、地域の救命率向上に役立てばと思います。

 ちなみに、セーブマンとは、不整脈の治療をする人形です。200万円近くするんですよ。実際に電気ショック(除細動)をしたり、
点滴をさしたり、気管挿管したり出来ます。先日救急外来のベッドに寝かせてあったらしく、かよわい美人薬剤師さんが通りがかって、、、、
ベッドの上に寝かされているのを発見し!!超びっくり!!亡くなった方??、、、、と思ったそうです。紛らわしい事をしないようにね!
有馬君、城戸君、使ったら片づけましょうね!

 セーブマン

“http://www.kokenmpc.co.jp/products/life_simulation_models/emergency_training/lm-073/index.html”>
http://www.kokenmpc.co.jp/products/life_simulation_models/emergency_training/lm-073/index.html

 ちなみに、ついこの間までシュミレーターだと思っていました(確かにマニアックな部分があるので、趣味レーターですね)。
生年月日は「せいねんがつび」と読んでいました(だからいつもEGBridgeで変換されないんですね)。うちの大蔵省(漢字検定準1級)
に「せいねんがっぴ」が正しいのだと言われました。知らなかった、、、、(私は漢字検定2級(+_+))。


外科研修①

2007年12月20日

外科研修①

2年次研修医 有馬 喬

今日は外科研修でのお話。

「何科になるの?」

誰しもよく聞かれると思うが結構変わるものである。

初めは心臓血管外科になる予定だった。

何年後かにテレビで「消えゆく命を繋ぐ瞬間!神の手を持つカリスマ心臓外科医」と

してゴールデンの特番に出演するはずだった。

入職時は多発外傷を得意とする外科になる予定だった。

何年後かにテレビで「あの事故からの奇跡の生還!神の手を持つカリスマ外科医」と

してゴールデンの特番に出演するはずだった。

今は田村内科部長率いる内科に入る予定である。

何年後かにテレビで…。

この先はまだ公開しないでおくことにする。

あまり手の内を知られると面白みが無くなる。

若干ミステリアスな部分を秘めている方が人を引き付ける。

(・・・と、何かの本に書いてあった。)

10の言いたいことがあったら、7か8くらいで一旦止めておくのがいいようだ。

さて、外科研修中のお話である。

個人情報のこともあり、医師名以外の状況設定全てを巧みに変えてあることをご了

承頂きたい。

「そんな症例なかったやろ?嘘ついちゃいかんめ!」と言いそうな方がいるので先に

断っておく。

その日は手術日ではなく、外科は平和な一日のはずだった。

秋も深まり、外科研修始まって間もないということもあって、妙に劉先生の背中が

懐かしい頃だった。

突然、館内放送が鳴る。

「救急ER(emergency room)!救急ER!5分後、CPA(cardiopulumonary arrest)!」

ERへ走る。1分後、救急車が来た。

どうやら事故のようだ。

「若い!まだ20歳そこそこじゃないか??」

直ちにCPR(cardiopulumonary resuscitation)開始した。

当院ではBLS(basic life support)、ACLS(advanced cardiovascular life
support

)受講は必須である。

速やかに心拍は再開し、人工呼吸器にのせた。

エコーで腹部を検索する。

FAST(Forcused Assessment with sonography for trauma) というものである。

今回は略語の元が書いてあるコトに疑問を持つ人もいると思う。

当然である。

木村先生の前で安易に略語を使うことは禁忌である。

使おうものなら、

「先生は!この略語の元は知っていますか?知らないならちゃんと調べておいてくだ

さい。はい。」とすぐさま撃沈である。

今回は外科研修中の話なので特に気を遣ったつもりである。

話を戻す。

エコーでは腹腔内出血と思われる所見を認める。

出血性ショックの状態であり大量輸液を行った。

すぐにオペ室に搬入した。

大量輸液に反応しない(血圧が安定しない)腹部外傷患者にCT撮ってる暇はない。

エコーで診断して直ちにオペ室である。

手術には木村先生、城間先生、僕の3人で入った。

お腹を開くと、血が噴き出した。

眼鏡に血が飛んだ。

眼鏡に血が飛ぶのは医龍、巨塔、コトー、振り返れば奴がいる(古!)だけかと思って

いた。

血が止まらない!どこから出てるのか…?

その時、木村先生が腹大動脈指で押さえつけた。

「有馬先生!今俺が押えてるところ代わって。そして反対の手でしっかり吸引して。

ちゃんと押えないと、この人死ぬよ。」

ちょっと手が震えた。

しかし、その間に先生達が損傷した脾臓をあっという間に取ってしまった。

少し血が止まった。

その後、術野もよくなり、手術は進んだ。

これがいつもカラオケで「ナインティンナインスリ~(ここでちょっと声が裏返る)

、恋をした~Ah君に夢中…(“夏の日の1993″より)」なんて歌ってる木村先生か?

これがいつも飲み会になると、「有馬君、こっち来てん、誰がそっち行っていいっ

て言った?」と言ってちょっとよく分からないお説教する城間先生か?

「外科医ってすげー!」って思った。

秋深まる11月中旬。

秋風がそろそろ冬の始まりを伝えようとしていた頃、

この病院では今日もひとつの命が救われようとしていた。


徳田虎雄理事長に会いました。

平成19年12月19日

徳田虎雄理事長に会いました。

2年次研修医 城戸 淳

 

こんにちは、横浜で研修中の城戸淳です。先日、念願の徳田虎雄理事理事長にお会いすることができました。
湘南鎌倉病院の研修医約10名と一緒に理事長のいらっしゃる葉山ハートセンターに行きました。そこでは、
ブルガリアの徳田ソフィア病院のビデオを拝見し、その後理事長のお部屋に案内されました。お部屋に入るにあたって、消毒液で手を消毒し、
ひとりひとり理事長にお手をとって挨拶しました。理事長の外見は、新聞や本に出てくるような力強さはありませんでしたが、考えや発言は、
本に書かれているのと変わらず、常にいわれていた言葉が、努力、努力、また努力。自分がしたように無理な努力、無駄な努力、
無茶苦茶な努力で夢をもってがんばりなさいという事でした。みんなの前で泣いているドクターもいました。たぶん、感動してのことでしょう。
徳田理事長は病気になっても、本当に頭は冴えわたっているようでした。その後、理事長は(担当者の話ではそうとう機嫌がよかったらしく、
こんなことを言ったのは初めてらしいですが、)「時間のある人は、僕のおごりでご飯でも食べてかえってください。」
と何度もおっしゃったので、みんなで遠慮せずしゃぶしゃぶを御馳走になりました。鹿児島の肉よりうまいといっている先生もいましたが、
食べ放題の肉で、そりゃないよと思いましたが、反論せずにいい子でいました。鹿屋の大隅牛、僕的には最高なんだけど・・・・、
はやくかえって焼肉の大隅にいきた~い。

以前、井戸院長が、「今の研修医は理事長に会うことができなくてかわいそうだよ。あんなにパワーのあるすごい人はいないんだから。」
と言ってました。その時には、よく意味がわかりませんでしたが、いろいろと理事長と秘書さんのお話を聞いて、
全盛期の理事長に会っていたかったと思いました。(武勇伝はなかなか楽しかったです)

いずれにせよ、昨日は理事長にお会いでき、貴重な体験ができた一日でした。最後に、有馬Drと山中Drは湘南鎌倉病院のDrにも有名でした。
��二人とも酒好きって言ってました、もっと、違うほめ方ないのかよって感じです。)

 

 


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